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高知簡易裁判所 昭和44年(ろ)209号 判決 1970年6月08日

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)<略>

(当裁判所の判断)

<証拠―略>を総合すると、公訴事実のうち被告人に過失があるとする点を除いてこれを認めることができる。その過失の存在につき、これを認めることができない。その理由を以下に述べる。

第一、前掲各証拠によると、

(一)  本件現場の状況

(1) 本件現場は、南北に通ずる県道(幅員、西側歩道1.75メートル、車道5.65メートル)と東西に通ずる市道(幅員、本件交差点より東側4.9メートル、西側は川幅4.05メートルに架橋された橋を経て4.6メートル、いずれも歩車道の区別なし)が交差する交差点である。夜間は交差点角の石油スタンドの燈火などにより交差点内、その周辺は明るい。なお、県道の速度制限は時速四〇キロメートルである。

(2) 本件交差点に押ボタン式信号機が設置されている。(高知県公安委員会設置昭和四三年八月三一日)

右信号機は、県道に対するものは青、黄、赤三燈の下部に押ボタン式と表示してあつて、常時は青燈火を示し、市道側のものは、同様下部に歩行者専用と表示してあつて、常時は赤燈火を示し、県道を横断しようとする歩行者において押ボタンを操作するときは、右県道側は黄(四秒)赤(一三秒)青と、市道側は青(一〇秒)黄(三秒)赤と順次自動的に点滅する。

(二)  被告人および被害者橋田芳雄の進行の態様

(1) 被告人は、軽四輪自動車を運転し、公訴事実記載日時に本件県道左側部分を北より南に向け時速約四〇キロメートルで進行中、本件交差点より約一〇〇メートル手前で前記信号機が青燈火の信号を表示しているのを認め、時速約三〇キロメートルに減速して前記信号機が押ボタン式であることに気づかず、通常の信号機であると思い右青燈火が黄、赤と変化することを予想して、これに注意しながら本件交差点に接近したところ、横断歩道手前において右前方9.1メートルの右側市道より自転車(足踏み式)に乗つて、県道車道部分に進入しようとする橋田芳雄を発見し、とつさに左にハンドルを切つたが避けることができず、自車の前記地点より6.4メートル進行した交差点内においてこれと衝突した。

(2) 橋田芳雄は、午後六時ころからビール一本位、清酒湯呑みに一杯半位を飲み、酒気を帯びた状態で、且無燈火の自転車に乗り、前記市道を東に向け本件交差点にさしかかり、前記歩行者専用の信号機が赤燈火の信号を表示しているのを認め、また北方より県道を進行してくる被告人の車両のライトを認めたが、自己の方が先に横断できるものと判断して直進したところ前記地点で被告人の車両と衝突転倒した。

以上の事実を認めることができる。

第二、

(1)  まず、本件押ボタン式信号機の表示する信号の意味について判断する。

このような信号機の表示する信号の意味は、

(イ) 常時青燈火を示す県道側信号機の表示は、黄、赤と変化しないかぎり、通常の信号機の示す青燈火の信号と同一の意味を示す。すなわち直進、右左折が可能である。(道路交通法施行令二条一項)

(ロ) 市道側の歩行者専用と表示してある信号機の示す赤燈火の信号の意味は、いうまでもなく、車両を拘束するものではない。(同条三項)しかしながら、(イ)の青燈火信号に従い直進、右左折の車両、あるいは横断歩行者の進行を妨げてはならない。(従つて(イ)の青燈火信号に従い直進右左折する車両に優先通行権があると解する。)のが相当である。

けだし、本件の県道側信号機が型式上も押ボタン式と表示されている外は通常のそれと異なるところもなく、また、その故に市道側信号機が歩行者専用のものであるか否か直ちに判断できがたいこと、本件のような押ボタン式と通常のそれの表示する青燈火信号の意味を異別に解しなければならない法令上の根拠もないこと、また、明らかに広い道路における優先通行権を認める場合との比較においても、(本件県道も市道に比し明らかに広いこと前記認定のとおり)さらには、公安委員会が本件信号機を設置し、もつて交通の安全と円滑を確保しようとする趣旨からいつても、このように解すべきものと考える。

(2)  そこで、前記認定事実ならびに前述の本件信号機の意味を考えあわせると、本件のように押ボタン式信号機の表示する青燈火信号であつても、これに従い県道を直進する自動車運転者としては、左右道路の車両が交差点内に進入してくること明らかな場合、すでに進入している場合など所謂特別の事情の認められる場合は別として、左右道路からの横断歩行者が押ボタンを操作することにより信号の表示が変化する場合に備えて、右信号機の表示する信号に注意して運転すれば足りる。すなわち、前示の速度と態様に従い運転している被告人としては、特別の事情のないかぎり、左右道路からの進入車両が自車の進路を妨げることなく、また自車との衝突を避けるため、適切な措置をとるであろうことを信頼して運転すれば足り、本件の橋田芳雄のように、青燈火信号に従い通行する被告人車両を全く意に介せず横断してくる者のあることまで予測して、あらかじめ減速して左右道路から進入する車両の有無、動静を注視し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務はないと解するのが相当である。

(3)  井上博彦の司法巡査に対する供述調書中「交差点の手前一五メートル位のところで、右方道路の橋の上あたりを自転車に乗つた人がゆつくり出て来ようとしているのを認めました。僕はその自転車乗りは停つてくれるものと思いました」の記載に照らすと、被告人が右橋田芳雄を発見した時点前において右橋田が暴走するなどして交差点内に進入すること明らかな客観的状態にあつたものとは到底認めることはできないし、また、その他に所謂特別の事情に当る事情も認めることはできない。

(4)  予備的訴因について

検察官は予備的訴因として、本件信号機は特殊信号機であつて、青燈火信号であつても対車両の関係では、本件交差点は交通整理の行われていない交差点と同視すべき旨を主張し、被告人は右信号機が特殊信号機であることを看過し、減速、左右前方注視を怠つた過失があるとするけれども、本件押ボタン式信号機の表示する信号の意味は前記判断のとおりであつて、これを前提に客観的注意義務を否定すべきことも前記認定のとおりである。してみれば、被告人の押ボタン式であることについての認識の有無は、本件過失の成否にはなんらかかわりあいのないこと明らかである。よつて右主張は採用できない。

そうだとすると、本件は過失の点について、証拠がないのに帰するから刑事訴訟法三三六条によつて、無罪の言渡をすべきものである。(小山高)

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